母親のことを思い返していたみちこさん。住職を前に、胸に残っている思いを話し始めました。
母に、もっといろいろしてあげればよかったなって思うんです。
そうですか。
もっと会いに行けばよかったし、もっと電話もすればよかった。最後の頃、母から電話がかかってきた時も、私が忙しくて、「また今度ね」って早く切ったことがあって。
はい。
あの時、もっと話しておけばよかった。
今なら、あの電話が、お母さんと話せる残り少ない機会の一つだったと分かりますもんね。
そうなんです。
でも、その時のあなたには、それが分からなかった。
……はい。
私も同じですよ。今日会った人と、また会えると思ってる。明日も普通に来ると思ってる。
でも、もっとできたと思うんです。
うん。それは、そうなのかもしれません。
そこは否定してくれないんですね(笑)。
だって、私には分かりませんから。「十分やりましたよ」って、私が勝手に言うことでもないでしょう。
まあ、そうですね。
仏教でいう無常って、「すべては変わります」みたいな話だけじゃないんです。私たちは、いつ終わるか分からないものを生きている。
分かってるつもりなんですけどね。
私もですよ。明日の予定、普通に入れてますから(笑)。
住職さんでも(笑)。
坊さんだけ明日の予定が分かったら怖いでしょう(笑)。
確かに(笑)。
だから、「もっとしてあげればよかった」という思いを、私がきれいに消してあげることはできないんです。
結局、何も解決してないですね。
うん。私も解決できんもん。
住職なのに(笑)。
住職でも(笑)。
大切な人を亡くしたあと、「もっとしてあげればよかった」と思うことがあります。
もっと会えばよかった。もっと話せばよかった。もっと優しくすればよかった。
あとからなら、いくらでも思いつきます。
けれど、その時の私たちは、それが最後に近い時間だとは知りませんでした。
仏教でいう「無常」は、単に「すべてのものは変化する」という説明だけではありません。
私たちは、いつ終わるか分からないいのちを生きています。
だからといって、後悔が消えるわけではありません。
消えないものを、無理に「これでよかった」と言い換えなくてもいいのだと思います。
私も、明日があるつもりで今日を生きています。
